日々読書メモ

大学で受けた授業をきっかけに太宰治を好きになりました。最近はもっぱら太宰です。自分が読んだ本の紹介(ネタバレ有)、感想、考察等書いてます。もちろん太宰以外でも書きますよ(^^)京都が好きなのでそれについても書いてます。

「如是我聞」を読んでみた

f:id:yonnsann:20161029105004j:image

今日は太宰治の「如是我聞」を読みました。

 

新聞に四ヶ月ほど掲載されていたものらしく、太宰のインタビュー(?)が百頁くらいで纏められたものです。

 

感想を一言で言うならば、

 

太宰、志賀直哉のこと嫌いすぎ。

 

です。

 

第一章は、所謂「老大家」について、あまりにも慎みがなく偉そうだ、というようなことを書いていました。

 

相当恨みつらみが募ってるんやろな…ってくらいめちゃくちゃ書いてましたが、納得出来るとこも多々あります。

 

私のどうしても嫌いなのは、古いものを古いままに肯定している者たちである。新らしい秩序というものも、ある筈である。それが、整然と見えるまでには、多少の混乱があるかも知れない。しかし、それは、金魚鉢に金魚藻を投入したときの、多少の混濁の如きものではないかと思われる。

 

これって現代でも言えますよね。

 

「昔はな…」っていう懐古主義の「おとしより」が多く、便利な世の中を何故か受け止めたがらないですが、常に時代は変わってて、その度に新しい何かを受け入れなければなりません。

 

それを楽しめば良いのにうだうだ文句言う人、私も嫌いです。

 

第二章では、学者について思うところを書いています。

 

太宰曰く、(ここでいう学者は恐らく語学者の事だと思いますが)彼らはただの語学の教師である、と言っています。

 

それなのに、「原文で読まないとわからない」とか偉そうに言うな!それを伝えんのがお前の役目やろ!」って言いたいらしいです。

 

この章で特に印象に残ったのは、

 

勉強がわるくないのだ。勉強の自負がわるいのだ。

 

です。

 

これ正しくそうですよね。

 

私は中学生のとき勉強ができない人間はバカだ、という歪んだ考えを持っていました。

 

それはそこそこ勉強ができた自分に「勉強の自負」があったからだと思います。

 

しかし、高校生になり、そうでないことに気づきました。

 

本来勉強というのは何かを学ぶためにするもので、それができたからと言って偉いも何もあるわけではありません。

 

数学ができたら偉いのであれば、絵を描くことが出来るのも、ヘアカットが出来るのも偉いです。

 

寧ろ数学ができるよりよっぽど偉い。

 

勉強を人を見下すための道具として使うのならば、勉強しない方がマシですよね。

 

このフレーズを読んで改めて思いました。

 

しかし、ここまではまだ序章。

 

第三章、第四章 が本編です。

 

太宰の主張は第一章から一貫して、これにあります。

 

若いものの言い分も聞いてくれ! そうして、考えてくれ! 私が、こんな如是我聞などという拙文をしたためるのは、気が狂っているからでもなく、思いあがっているからでもなく、人におだてられたからでもなく、況んや人気とりなどではないのである。本気なのである。

 

新しいものに挑戦する若者を潰さないでほしい。

 

この話を通して一番言いたいのはこれでしょう。

 

そして、太宰のいう若者の可能性を潰す最も悪徳な「老大家」が、志賀直哉です。

 

志賀直哉という作家がある。アマチュアである。六大学リーグ戦である。(中略)あの「立派さ」みたいなものは、つまり、あの人のうぬぼれに過ぎない。腕力の自信に過ぎない。(中略)高貴性とは、弱いものである。へどもどまごつき、赤面しがちのものである。所詮あの人は、成金に過ぎない。

 

ボロカスです。

そんなに?ってくらいボロカス言います。

 

ここまで言うのには理由があるらしく、

 

志賀直哉という人が、「二、三日前に太宰君の『犯人』とかいうのを読んだけれども、実につまらないと思ったね。始めからわかっているんだから、しまいを読まなくたって落ちはわかっているし……」と、おっしゃって、いや、言っていることになっているが、

 

や、

 

またある座談会で(おまえはまた、どうして僕をそんなに気にするのかね。みっともない。)太宰君の「斜陽」なんていうのも読んだけど、閉口したな。なんて言ってるようだが、「閉口したな」などという卑俗な言葉遣いには、こっちのほうがあきれた。

 

 

というように、自身の作品を酷評されたところにあるらしいてす。

 

特に「斜陽」に関しては怒り爆発。

 

別所直樹氏著書の「郷愁の太宰治」でも書いてありましたが、「斜陽」は太宰が死ぬ気で書いた作品。

 

それを「閉口した」などという言葉で評価されたのがどうしても許せなかったのでしょう。

 

 

yonnsann.hatenablog.com

 

 

ここで注目すべきなのは、太宰の文学観です。

 

も少し弱くなれ。文学者ならば弱くなれ。柔軟になれ。おまえの流儀以外のものを、いや、その苦しさを解るように努力せよ。どうしても、解らぬならば、だまっていろ。むやみに座談会なんかに出て、恥をさらすな。

 

彼の言葉は、ただ、ひねこびた虚勢だけで、何の愛情もない。

 

「畜犬談」でも、太宰は、本来芸術家は弱く、また、弱者のためにあると言っています。

 

そして「」を大切にしたいと。

 

「愛」 については様々な作品でも言及されていますね。

 

その中でも「津軽」のこのフレーズは印象的でした。

 

私には、また別の専門科目があるのだ。世人は仮りにその科目を愛と呼んでゐる。人の心と人の心の触れ合ひを研究する科目である。

 

 

yonnsann.hatenablog.com

 

 

「郷愁の太宰治」でもわかるように太宰という人間は本当に優しくてどこか危うい人で、いつも「愛」を言葉の表現に込めていたことがわかります。

 

太宰作品を読んでいく中で太宰についてわかったのは本当に今上記したものです。

 

それらを大切にしてた太宰からしたら、志賀直哉の言葉もその作品も許せなかったのでしょう。

 

以前志賀直哉の「灰色の月」を読みましたが、それについても言及しています。

 

すなわち、「東京駅の屋根のなくなった歩廊に立っていると、風はなかったが、冷え冷えとし、着て来た一重外套で丁度よかった。」馬鹿らしい。冷え冷えとし、だからふるえているのかと思うと、着て来た一重外套で丁度よかった、これはどういうことだろう。まるで滅茶苦茶である。いったいこの作品には、この少年工に対するシンパシーが少しも現われていない。つっぱなして、愛情を感ぜしめようという古くからの俗な手法を用いているらしいが、それは失敗である。しかも、最後の一行、昭和二十年十月十六日の事である、に到っては噴飯のほかはない。もう、ごまかしが、きかなくなった。

 

正直私もこの作品意味がわかりませんでした。

 

「……だから?(´・ω・`)」ってなっちゃいました。

 

大阪人なのでどうしてもオチを求めてしまうんです…。

 

まぁ、文学って言われてるものって正直「これそんなにいいか?大したこと言ってないぞ?」ってなるやつ多いですしね。

 

そういえば芥川についても書いてありました。

 

君について、うんざりしていることは、もう一つある。それは芥川の苦悩がまるで解っていないことである。
日蔭者の苦悶。
弱さ。
聖書。
生活の恐怖。
敗者の祈り。
君たちには何も解らず、それの解らぬ自分を、自慢にさえしているようだ。

 

大好きな芥川の作品も理解出来ずそれを自慢してることにも太宰は憤りを感じてるようです。

 

ほんまめっちゃ(#・∀・)おこ!やな。

 

そしてこれだけ散々ボロカスに言って最後の嫌味が、

 

貴族がどうのこうのと言っていたが、(貴族というと、いやにみなイキリ立つのが不可解)或る新聞の座談会で、宮さまが、「斜陽を愛読している、身につまされるから」とおっしゃっていた。それで、いいじゃないか。おまえたち成金の奴の知るところでない。ヤキモチ。いいとしをして、恥かしいね。

 

やっぱり「斜陽」を馬鹿にされたことが一番許せなかったんやな。

 

こういうの改めて読むと太宰って本当に人間味があって愛しく思えてきますよね。

 

こういう子どもみたいなところがなんだか可愛くてほっとけない感じです。

 

それが太宰が世代を超えた多くの読者から愛される理由なんでしょうね。

 

太宰に関してこむずかしい論文や評論は似合わない。

 

もっと単純に、「おもしろかった!」「優しいなぁ」みたいな感想で充分だと、今回「如是我聞」を読んで思いました。