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日々読書メモ

大学で受けた授業をきっかけに太宰治を好きになりました。最近はもっぱら太宰です。自分が読んだ本の紹介(ネタバレ有)、感想、考察等書いてます。もちろん太宰以外でも書きますよ(^^)京都が好きなのでそれについても書いてます。

「彼は昔の彼ならず」をもう少し読み込んでみた

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「彼は昔の彼ならず」もう一回読み返しました〜。

これホント面白いから何回でも読み返せる…。

 

この作品は結構前に記事書いてるのでここではもう一回読んで気になったとこを書こうと思います。

 

前の記事↓ 

yonnsann.hatenablog.com

 

 まず読んでて改めて良いな〜と思ったのはやっぱり青扇です。アホの子キャラ。

 

しかしこれもっと深く読んでいくと青扇って中々考えさせられるキャラなんですよね。

 

青扇というキャラはある意味「千と千尋の神隠し」のカオナシみたいだな〜と思いました。

 

私はジブリ作品で「千と千尋の神隠し」が一番好きで台詞を覚えるくらい何十回も観てるのですが、ずっとカオナシの意味というものを考えてました。

 

というのも、DVDに収録されている予告集を観ていたら、

 

みんなの中に、カオナシはいるー宮崎駿

 

ってあったんですね(多分このキャッチフレーズであってると思います記憶が曖昧ですが…)

 

最初観た時「え、どういう意味?」と思って考えていたのですが、最近やっとその答えが出ました。

 

カオナシっていうのは恐らく漢字に当てると「顔無し」になると思います。

そして意思を伝える言葉も持っていません。

 

何も無い、空っぽなのです。

 

そして何度も何度も千尋を欲しがりました。他のキャラクターを食べて自分と一体化させたりもしました。

 

これは誰かになりたい者の表れと思います。

 

何も無い自分、空っぽの自分がどうしようもなく他人に憧れ、その人のようになりたいという欲求。

 

それをカオナシは、異世界に置かれた状況でも必死に生きる千尋に魅力を感じ、彼女のようになりたいと思い憧れ、何度も取り込もうとしたのではないのでしょうか。それはただの真似事でしかないのに。

 

しかし、「彼は昔の彼ならず」においてのこの青扇というキャラクターもそれは同じです。

 

語り手である「僕」は青扇と出会った当初、彼と親しい女性であるマダムに「彼は変人だが、天才とはああいうものです。」というようなことを言っていました。マダムはそんなことないと笑っていましたが、天才が好きな「僕」は青扇は天才で、天才はこういう行動を取るものだと信じきっていました。

 

しかし、ある日青扇を訪ねた「僕」はわかってしまうのです。

 

「けれど、無性格は天才の特質だともいうね。」
僕がこころみにそう言ってやると、青扇は、不満そうに口を尖らせては見せたものの、顔のどこやらが確かににたりと笑ったのだ。僕はそれを見つけた。とたんに僕の酔がさめた。やっぱりそうだ。これは、きっと僕の真似だ。 

 

青扇は「僕」がマダムに対して言っていたことを聞いていたんですね。そして、「僕」の期待を外さないように、「天才」を演じ、誰かの真似をするだけのただ何も無い凡人だった。

 

そして、それがわかった瞬間「僕」は青扇に失望します。それはまるで自分を見ているかのようだったのでしょう。

 

他人に「天才」を求めた「僕」と、誰かの真似をすることでしか自分を保っていられない青扇。

 

この男は、意識しないで僕に甘ったれ、僕のたいこもちを勤めていたのではないだろうか。

 

結局この2人は何も無い、何でもない凡人でしかなかったんです。

 

誰かの真似事をすることで青扇は自分に意味を持たせようとしていた。

「僕」は天才の知り合いという特別な位置にいることによって自分に意味を持たせていた。

 

何か自分に理由をつけたくて誰かの真似事をする2人。

 

はじめから青扇の顔をどこかで見たことがあると気にかかっていたのだが、そのときやっと思い出した。プーシュキンではない。僕の以前の店子であったビイル会社の技師の白い頭髪を短く角刈にした老婆の顔にそっくりであったのである。

 

僕にはそれもまたさもしい感じで、ただ軽侮の念を増しただけであった。

 

この言葉は青扇に向けられたものですが、同時に自分自身にも向けた言葉でもあると思います。

 

 「僕」がマダムと再会し話す場面で、「僕」がもう一度だけ、「青扇には何か特別なものがある」と言います。ですがマダムの答えは変わりませんでした。全部最初から、マダムが言ってたとおりだったのです。

 

「真似をしますのよ、あのひと。あのひとに意見なんてあるものか。(省略)」
「まさか。そんなチエホフみたいな。」
そう言って笑ってやったが、やはり胸がつまって来た。いまここに青扇がいるなら彼のあの細い肩をぎゅっと抱いてやってもよいと思ったものだ。

 

「僕」はきっと自分自身にもその言葉が刺さってしまったのでしょうね〜。

青扇を慰めることで自分も慰めたいという意味があると思います。

 

ですがこの話が良いなと思ったところはやはり「僕」もマダムも青扇のことが好きなんですよね。

どうしょうもない人間とわかっていても憎めない。

そういう人っていると思います。

 

僕はあしもとの土くれをひとつ蹴って、ふと眼をあげると、藪のしたに男がひっそり立っていた。(中略)僕たちは同時にその姿を認めた。握り合っていた手をこっそりほどいて、そっと離れた。

 

 「僕」はそれから青扇にはあっていません。

 

「僕」の話を聞いていた聞き手はその話がおかしくて笑います。

 

そして「僕」と青扇が似ているとも。

 

しかし「僕」は最後に、聞き手もしくは読者に向かって言いました。

 

――よし。それなら君に聞こうよ。(中略)あの男と、それから、ここにいる僕と、ちがったところが、一点でも、あるか。

 

「僕」は青扇で青扇は「僕」。2人は似たもの同士なんてものではなく完全に一体化しているのです。

今までの環境、生き方の違いだけで根本的には何一つ変わらない、そして皆根本的には彼らと何一つ変わらない何でもない人間でしかない。

 

そういう風に読み取りました。

 

魅力的なキャラクターにコミカルな話の中にこのようなことが読み取れるのは流石太宰治だな〜と思います。

 

こういうの考えるの好きなので楽しかったです(^^)

 

あくまで私の見方なのでほかの方の解釈など見れたら楽しいな〜。

 

 

思ったより長くなってしまいましたが…では今回はこのへんで!