日々読書メモ

大学で受けた授業をきっかけに太宰治を好きになりました。最近はもっぱら太宰です。自分が読んだ本の紹介(ネタバレ有)、感想、考察等書いてます。もちろん太宰以外でも書きますよ(^^)京都が好きなのでそれについても書いてます。

「猿面冠者」を読んでみた

f:id:yonnsann:20160903234050j:image

こんにちは。

 

太宰治の「猿面冠者」読みました。

 

正直言って、

 

この話、難しかったです。

 

まず何が難しいって、書き手を探るのが難しい。

 

始めに、

 

どんな小説を読ませても、はじめの二三行をはしり読みしたばかりで、もうその小説の楽屋裏を見抜いてしまったかのように、鼻で笑って巻を閉じる傲岸不遜の男がいた。

 

から入るんですが、この男はまだ書きもしていない自分の傑作に頭を悩ませるというかなりイタイ人です。

 

話は、この男がもし小説を書いたらどうなるだろう?という方向へ進んでいきます。

 

それについて書き手は色々な可能性を考えていきます。

 

そのうちの一つが、そもそも小説を書けないということ。

 

男は、自分の作品についてのおそらくはいちばん適確な評論を組みたてはじめる。この作品の唯一の汚点は、などと心のなかで呟くようになると、もう彼の傑作はあとかたもなく消えうせている。

 

というふうに、男が小説を書けない理由を探っていきます。

 

しかし、

 

けれども、これは問題に対してただしく答えていない。問題は、もし書いたとしたなら、というのである。

 

というように、「この男が小説を書いたら」という問題にまた戻っていきます。

 

書き手は取り敢えず、この男が小説を書かざるを得ない環境を「こんな感じかな?」ってな具合に作っていきます。

 

ここで注目して欲しいのが、書き手がこの物語を考えながら書いているのが読者にわかるように書かれているということです。

 

読者は現在進行形で書き手が物語を作り上げているのを見ているように感じます。

 

ここは流石太宰。書くことへのこだわりと言ったところでしょうか。

 

話は戻りますが、この男は書き手によって様々な設定が付け加えられ、自分が昔書いた小説の中から一つ選んで書こう、という考えに至ります。

 

ここの描写もなんていうか、今で言う自分の昔の同人誌見て黒歴史過ぎて赤面している感あって良かったです(笑)これは恥ずかしい…(/ω\)

 

そして男は自分が書いた小説の中で「通信」という作品を選び、これを「風の便り」と改め、書き直していこうと決意します。

 

「風の便り」の書き出しや設定等練っていく描写がありますが、ここでも気になることが沢山ありました。

 

まずは無学の妻。

 

男はまともに学校にも通っていないのですが、行ってる風を装い、妻に不貞を働いています。しかし、妻はいやしい育ちの女と書き手によって設定されており、そこから無学であると判断されています。

 

他の記事でも書きましたが、太宰はよく無学の妻を登場させます。これは一体どういう意図なのでしょうか?

 

以前の記事です↓

yonnsann.hatenablog.com

 

そして二つ目が友人の洋画家。

 

これも様々な作品に登場していますね。

 

「東京八景」にもあったように太宰は洋画家の友人を持っていましたし、彼もまた絵を描くのが好きだったのでよく登場させるのかもしれません。

 

彼は、もともとこの友人をあまり好きではないのである。

 

この言葉は「東京八景」での太宰と洋画家の友人との関係を見れば意味がわかりますね。

 

「東京八景」の記事です↓

yonnsann.hatenablog.com

 

 

三つ目は、

 

ここの古本屋には、「チエホフ書翰集」と「オネーギン」がある筈だ。この男が売ったのだから。

 

という台詞です。

 

「郷愁の太宰治」に書いてあったのですが、どうやら太宰は読んだ本はすぐ売ってしまうようでした。

 

ですからいつも本棚はすっからかんなんだそう。

 

そして読みたくなったらまた古本屋に買いに行く、というのを繰り返してたみたいです。

 

合理的っちゃ合理的だけどお金勿体なくね?って思っちゃいますね〜(笑)

 

私は全然本売らないので溜まりにたまって今部屋が冗談じゃなくヤバいです。あなたが思ってる8倍くらいはヤバい(._.)

 

「郷愁の太宰治」の記事はこちらです↓

yonnsann.hatenablog.com

 

他にも気になったのはいくつかあったんですがそれはまた別の機会に書きますね。

 

そして構想を練りに練った男はとうとう「風の便り」を書き始めます。

 

………が、

 

 問題はここからです。

 

この後「風の便り」が始まるのですがそれはつまり、ここから書き手が「男」に変わるということです。

 

書き手が書いてた男が書く物語、となんかややこしいことになります。

 

「風の頼り」の主人公である「彼」も小説を書く文学青年です。

 

性格も「男」と似ており、かなりイタイ奴に仕上がっています。

 

「彼」は作中で「鶴」という作品を仕上げ、今に売れるに違いないと思っていましたが、ある作家に酷評され、酷くプライドが傷つけられます。

 

確か太宰自身も「道化の華」を書いた際に似たような経験があったと思います。

 

まぁここで太宰が凄いのは「いや、マジないわ〜めっちゃ腹立つんですけどありえへん」って言い返すとこなんですけどね(笑)

 

そして、落ち込んでいる彼の元に1通の手紙が届きます。これが風の便りです。

内容は励ましてるのか貶してるのかわからない感じなのですが、太宰特有の女性言葉がとても心地よい箇所でもあります。

 

私、わざと私の名前を書かないの。あなたはいまにきっと私をお忘れになってしまうだろうと思います。お忘れになってもかまわないの。おや、忘れていました。新年おめでとうございます。元旦。

 

この差出人は「男」が練ってた構想の中で少女と書いていたので、少女からなのでしょう。

 

「女生徒」を読んでいて思ったのですが、太宰は少女を話し言葉で表現する時、句読点を多用し短い文章で構成するよう心がけていると思います。

 

確かにその方がたどたどしい、まだ完成されていない純粋な少女の感じが出るのでしょうね。

 

「女生徒」の記事はこちらです↓

yonnsann.hatenablog.com

 

この少女の手紙は2通あるのですが、1通目と2通目の間に、

 

(風の便りはここで終わらぬ)

 

という風に書かれています。

これは恐らく「男」のメモみたいなものではないでしょうか。

ですから改めて読者は「男」が今書いている「風の便り」という物語を隣で見ているような感覚になるわけです。

 

2通目の手紙は

 

ほんとうは怒っていないの。だってあなたはわるくないし、いいえ、理窟はないんだ。ふっと好きなの。あああ。あなた、仕合せは外から? さようなら、坊ちゃん。もっと悪人におなり。

 

と締められます。

 

そして唐突に、

 

 男は書きかけの原稿用紙に眼を落してしばらく考えてから、題を猿面冠者とした。それはどうにもならないほどしっくり似合った墓標である、と思ったからであった。

 

と、書き手は元に戻り、「男」は書くことをやめてしまったのです。

 

「男」が小説を書くことをやめてしまったということは、つまり書き手も「男」についての物語を書くことをやめてしまったということ。

 

ですから、「猿面冠者」という題をつけてやめたのは、「男」でもあり、その「男」について書いている太宰自身でもあるのです。

 

これは本当に書き手を追うのが難しかった…。

 

「え?待って今誰の話してんの?」って何度もなりかけましたし…。

 

しかもこれをさらに難しくしているのが「それはどうにもならないほどしっくり似合った墓標である、と思ったからであった。」の部分です。

 

「墓標?ん?どゆこと?」ってなったんですが、自分なりに、若者であった自分の死という結論に辿り着きました。

 

「冠者」という言葉は「若者、若い人」という意味があるようです。

(参照→【https://kotobank.jp/word/冠者-461544】)

 

そして「猿面」は人間未満。

 

つまり1人前の人間ではない、という意味を表しているんじゃないんでしょうか?

 

「男」の話も、「風の便り」の「彼」の話も、どちらも若気の至りというか、若いからこそやってしまう失敗だったり思い込みだったり、というものを描かれていたように思います。

 

そして、太宰自身がその若者の物語に終止符を打つ。

 

それが「墓標」なのではないでしょうか?

 

 

…とまぁこの話色々な考察ができて読んでてめっちゃ面白かったです!パパッと読めるし暇があれば是非読んでみて欲しいです!

 

あと他にこんな考察しましたってのがあればコメント下さい(^^)

 

長々と御付き合い頂き有難うございましたm(__)m