日々読書メモ

大学で受けた授業をきっかけに太宰治を好きになりました。最近はもっぱら太宰です。自分が読んだ本の紹介(ネタバレ有)、感想、考察等書いてます。もちろん太宰以外でも書きますよ(^^)京都が好きなのでそれについても書いてます。

子供に読ませたい名作絵本・児童書5選

私の家には大量の本があって全然収納スペースがなくて困っています(^^;

 

しかしこの間、「いい加減片付けよう!」と思い本の整理をしました。

 

そしたら懐かしい絵本や児童書が沢山出てきたんです!

 

母も本好きで毎日読み聞かせをしてくれました。今でも覚えています。

 

そんな懐かしい思い出を振り返りながら、

自分に子供ができたら絶対に読ませたい本を選びました。

 

それでは紹介させていただきますね(^^)

 

1 ケイゾウさんは四月がきらいです

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対象年齢:小学校低学年

 

帯には「絵本から童話への橋渡しとして最適です。そして、おとなだっておもしろい!」とあります。

 

これは母に読んでもらった本の中で一番印象に残っている本です。

 

幼稚園で飼われているニワトリのケイゾウさんはうさぎのみみこがやってきてから振り回される日々を送ることになる。

 

というお話になっており、中にもイラストがあって子供が読みやすいようになっているんですが、この本の凄いところは、本当に大人も楽しめる1冊になっているということです。

 

どういうことかというと、このケイゾウさん、全然児童書らしくないキャラクターなんです。

 

みみこと初対面する冒頭から強烈で、みみこに向かってケイゾウさんが放った言葉が「ずいぶんデブだな」です。

そしてそれに対するみみこの台詞が「なによ、オイボレにわとりのくせに」

 

この2匹のキャラクター、本当にインパクトあって見ていて飽きません。

 

人間の感覚とのズレもあって、より話が面白くなっています。

 

この本は寝る前の読書としてお母さんと一緒に読むと親子揃って楽しめるのではないでしょうか。

本当にオススメです(^^)

 

2 せかいでいちばんつよい国

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対象年齢:幼稚園(保育園)児〜小学校低学年

 

このお話は、世界中を幸せにするために世界中を征服した大きな国の大統領ととてもとても小さな国のお話です。

 

このお話はとてもよく出来ていて、絵本ですが、絵本だからこそ大切なものを伝えています。

 

「むかし、大きな国がありました。大きな国の人びとは、じぶんたちのくらしほどすてきなものはないと、かたくしんじていました。」から入るこのお話は、端的にいえば戦争のお話です。

しかし、残酷な描写はなく、何が悪で、何が善と言ったようなことも描かれていません。

 

冒頭の台詞にもあるように、大きな国は自分たちの幸せな暮らしを一番だと信じており、世界中を幸せにするために世界征服をしようとしました。

しかし、最後に残った小さな国を攻めると、小さな国の文化がとても心地よく、そこに馴染んでしまいます…。

 

何が善、何が悪、そんなことはどうでも良いです。

自分の幸せは果たして他人の幸せでもあるのか、本当につよいとは何なのか。異文化と触れ合う事は、人と触れ合う事はどういうことなのか?

このお話はそのようなことを考えさせてくれます。

 

勿論小さい子供はそんなことまだまだ考えられません。

しかし、このお話がぼんやりとでも記憶にあるかないかで人との接し方などは大きく変わると思います。

 

その時意味がわからなくてもどこかで自分を作る要素になっている。

それが小さい頃に出会う絵本だと思っているので、是非読んで欲しい作品です。

 

3 からすのパンやさん

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対象年齢:幼稚園(保育園)児〜小学校低学年

 

これはタイトルそのままです。

からすのパン屋さんのお話です。

 

イラストがすごく可愛くて、とても楽しいお話です(^^)

 

しかし、パン屋さんのお話なだけあって、パンがとっても美味しそう。

 

パン屋さんを経営するからすの家族がたくさんパンを作るシーンがあるのですが、そこのイラストが可愛くて、なんと83この可愛いパンが描かれています。

 

これを見ると一緒にパンを作りたくなります(^^)

 

私も母とよく作りました。

良い思い出です。

 

軽く読めて可愛くて楽しい、絵本らしい絵本だと思います。

 

4 のはらひめ

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対象年齢:幼稚園(保育園)児〜小学校低学年

 

このお話は、女の子なら誰もが1度は思う、お姫様になりたい女の子のお話です。

 

ずっとお姫様になりたいと思っていたまりの元にある日、美しい馬車と、御者が現れます。

まりはお姫様候補に選ばれたのです。

とても喜んだまりでしたが、その喜びもつかの間。

お姫様は行儀作法やレッスンなど、様々な制約に縛られており、全然自由にできません。

しかし、そんな厳しい訓練を乗り越え、まりはとうとうお姫様になれる資格を得ます。

シンデレラ、白雪姫、人魚姫、眠姫…etc。

好きなお姫様になれるのです。

念願のお姫様になれるまりが最後に選んだのは…?

 

とこんなお話なのですが(殆ど言ってる)、絵のタッチも柔らかく、とても可愛らしいお話です。

 

それでいて今読み返してみると結構深くて面白いです。

 

女の子はみんなのはらひめ。

 

自由な女の子はみんな可愛い。

みんなみんなお姫様。

 

女の子には是非読んでほしいお話です(^^)

 

5 ねずみの騎士デスペローの物語

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対象年齢:小学校高学年

 

人間のお姫さまに恋をして、ネズミ界を追放されたハツカネズミ、デスペロー。

母親をなくした悲しみをかかえる美しいおひめさま。

地下牢のやみに住み、光にあこがれとにくしみを抱くドブネズミ。

いつか自分がお姫さまになると信じている下働きの娘。

それぞれのかなわぬ思いは、どこへゆくのでしょうか。

愛とゆるし、そして勇気と希望に満たされた、あたたかい物語。(本文抜粋)

 

恐らくこのお話は、私が初めて自分1人で読んだ「長いお話」です。

 

時間をかけてゆっくり読んでいたのですが、後の展開になるにつれて面白くて読むスピードが上がりました。

 

このお話は少しの切なさと、心が温まるお話となっています。

 

デスペローを中心に、その周辺の人物(ねずみ)たちのお話が描かれているのですが、あらすじにもあるように、それぞれかなわぬ思いというものを持っています。

 

恐らく人は誰でもそういうものは持っているでしょう。

そんな時どうすれば良いのか、彼らの物語を少し参考にしてみるのも良いかもしれません。

きっと優しい答えが待っています。

 

あとこれイラストも繊細ですごく丁寧なのでそのへんも楽しめる作品になっています(^^)

 

今回は5冊の絵本・児童書を紹介させていただきました。

しかしまだまだ沢山家にあります…。

 

また別の機会に紹介できたら良いな〜と思います(^^)

 

今紹介した中で気になるものがあったら是非買って、お子さんと一緒に読んでみてください。

 

お母さんと絵本を読んだ記憶というものは必ず残ります。

 

はっきり覚えていなくても、何らかの形で確かに残るものだと思います。

 

ですから沢山ある素敵な絵本を是非是非お子さんと一緒に読んで欲しいです(^^)

 

ここまで読んでくださりありがとうございましたm(__)m

 

では( ・ω・)ノ

「駆け込み訴え」を読んでみた

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こんにちは(^^)

 

今回は太宰治「駆け込み訴え」について書きたいと思います。

 

この話、タイトル通りある男が駆け込みひたすら訴える話です。

 

では何を駆け込み訴えたのか?

 

申し上げます。申し上げます。旦那さま。あの人は、酷い。酷い。はい。厭な奴です。悪い人です。ああ。我慢ならない。生かして置けねえ。

 

「私」は「旦那様」に「あの人」はなんとも酷い奴で生かしておけない。殺して欲しいと頼みます。

 

「あの人」は「私」と同い年の筈なのにこんなに差がある。人間は本来平等のはずなのにと必死に訴えます。

 

これだけ聞くと嫉妬して逆恨みしてるキチガイにしか見えませんが、もっと重くて思っている以上に「私」はヤバイ奴です。

 

話を聞くところによると「私」は「あの人」にさんざんこき使われて意地悪されていたそう。

しかも「あの人」については、

 

あの人は、なんでもご自身で出来るかのように、ひとから見られたくてたまらないのだ。ばかな話だ。世の中はそんなものじゃ無いんだ。

 

と言う始末。よっぽど「あの人」が嫌いなんでしょう。

 

しかもどうやら「あの人」は人からたいそう慕われておるらしく、「私」以外の弟子たちも皆懐いています。

 

しかし如何せん見栄っ張りな「あの人」はお金もないのに「ここにいる全員に食べ物を分け与えてあげなさい」とか無茶ばかり言います。

「私」は「あの人」の為に必死にやりくりしました。

 

私はあの人に説教させ、群集からこっそり賽銭を巻き上げ、また、村の物持ちから供物を取り立て、宿舎の世話から日常衣食の購求まで、煩をいとわず、してあげていたのに、あの人はもとより弟子の馬鹿どもまで、私に一言のお礼も言わない。

 

「私」はこれだけやっても感謝の一つもされない自分への仕打ちに耐え難く「あの人」を殺してくれと訴えたのです。

 

ところが、「あの人」の悪口を散々言っていた「私」が、途中からおかしなことを口走ります。

 

私はあなたを愛しています。ほかの弟子たちが、どんなに深くあなたを愛していたって、それとは較べものにならないほどに愛しています。誰よりも愛しています。

 

「私」は突然「あの人」のことを愛していると発言するのです。

 

「あの人」について行ったところで自分に一文の得もないけど、彼への愛だけでついていける。

 

「あの人」が死んだら「私」も死ぬ。

それくらい重い愛を持っていると言います。

 

私は、なんの報酬も考えていない。あの人について歩いて、やがて天国が近づき、その時こそは、あっぱれ右大臣、左大臣になってやろうなどと、そんなさもしい根性は持っていない。(中略)私は今の、此の、現世の喜びだけを信じる。次の世の審判など、私は少しも怖れていない。

 

「私」は「あの人」は嘘つきで見栄っ張りなどうしょうもない人間だがあの人を誰にも渡したくない。

誰かに渡すくらいなら自分が殺す。

そこまで言っています。

マジでヤバイ奴です。

もうクレイジーサイコホモです。

 

「私」によると最近の「あの人」は浅薄な行動を取り見ていられないほど酷くなってしまったそう。

 

ばかだ。身のほど知らぬ。いい気なものだ。もはや、あの人の罪は、まぬかれぬ。必ず十字架。それにきまった。

 

そんな「あの人」はもう見ていられない。

こうして「私」は「あの人」を殺すと決めたのです。

 

ですが、やはり「私」は「あの人」を心の底から愛していますから、何度も考え直しました。

 

しかし、皆で食事をしていたある日、「あの人」が言ったのです。

 

「お前たちの一人が、私を、売る」

 

そう言った「あの人」は「その人物は生まれてこなかった方が良かった」と言い、一つまみのパンを与えました。

 

それが「私」だったのです。

 

「私」は「あの人」と永遠に分かち合うことが出来ない。

こんな思いをするなら殺してしまおう。

 

こうしてやっと決心がついたのです。

 

もう、もう私は我慢ならない。(中略)私を今まで、あんなにいじめた。はははは、ちきしょうめ。

 

そして「私」は銀三十を貰います。

 

私は所詮、商人だ。(中略)私は、ちっとも泣いてやしない。私は、あの人を愛していない。はじめから、みじんも愛していなかった。(中略)私は、金が欲しさにあの人について歩いていたのです。おお、それにちがい無い。

 

商人である「私」は銀三十で「あの人」を売りました。

「金、世の中は金だけだ。」と言い、とうとう「あの人」を売ってしまったのです。

 

そして最後に名前を聞かれた「私」は名乗ります。

 

はい、はい。申しおくれました。私の名は、商人のユダ。へっへ。イスカリオテのユダ

 

 

…これ気づく人は早い段階から気づいてたと思います。

私も割と中盤で気づいたんですが。

そうです。これは

イエスキリストを祭祀たちに銀三十で売った裏切り者、ユダの話だったのです。

 

振り返ってみると色々ヒント(?)は出てますよね。

十字架だったり最後の晩餐だったり天国だったり…本文では弟子達の名前(ヤコブ、ペテロ、ヨハネ)も出ています。

 

この作品の何が面白いって、世界三大宗教であるキリスト教を堂々と風刺していることです。

 

イエスキリストは素晴らしい神の子として今でも世界中に知れ渡り信仰されていますが、ここでは見栄っ張りで情けなく、どうしようもないただの人間としてユダ視点で描かれています。

 

なんとなくカラーで言うと、普通キリストが白でユダが黒なイメージですが、ユダ視点で描くことによってイエスキリストは果たして本当に白なのか?と問われているように思いました。

 

太宰は何かキリスト教に思うところでもあったのでしょうか?

それともただ視点変えたら面白そ〜って感じで書いたんですかね?

 

そのへんまた考察していきたいな〜と思います(^^)

 

この話も短くてすぐ読めたのでオススメです!

 

ネタバレしてから読んでも面白い。

確認しながら読めますし(^^)

 

では今回はこのへんで(^^)/~~~

 

「河井寛次郎記念館」に行きました。

今日は授業で「河井寛次郎記念館」に行ったんですが、とても良かったです!

 

こんなところがあるの全然知らなくてびっくりしました。

 

寛次郎は芸術家で、作陶を初めとした木彫、文章を通じてはげしい表現をした反面、建築、調度品等は生活にを尊んだ寛次郎のしずかな精神を見ることができます。

この記念館は寛次郎の作品と共にその作品を創作した場も楽しめるものとなっています。(パンフ参照)

 

私はアメコミとか洋画とか、派手なのも好きですが、やはり

日本の簡素な美が一番素晴らしいものと思っています。

 

この記念館はそれを見事に体現していました。

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記念館自体が寛次郎が創作に励んだ場所なので、大釜などとても貴重なものも残っており圧倒されました。

(大釜)↓

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(釜の中にも入れます)↓

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そしてこのインパクトある大釜にたどり着くまでに通る部屋、中庭はとても簡素で、静かな雰囲気でした。めっちゃ私好み。

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人も少なくて椅子に座ってゆっくりできますし、京都の雰囲気を堪能したいならここはとても穴場だと思います。

 

もし人と違った京都旅行がしたいと思ったら寄ってみてはいかがでしょうか(^^)

 

(にゃんこもいました)↓

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アクセス

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観光のオススメ順路は

三十三間堂」→「智積院」→「河井寛次郎記念館」→「清水寺

全て徒歩圏内でいけます。キツかったらバス使っても良いかも。

「畜犬談」を読んでみた

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↑ウチの犬です

 

太宰治「畜犬談」を読みました。

電車に乗ってる間に読めました。

 

このお話は犬に対する

太宰の盛大なデレでした。

 

もう所々面白すぎてめっちゃ笑いながら読みました。

「お前は一体何を言っているんだ」って何度突っ込んだか…。

 

だってまず最初に、

 

私は、犬については自信がある。いつの日か、かならず喰いつかれるであろうという自信である。

 

とか言ってるんですよ。

「な〜にを言っとんじゃ」ってなりますよ。

 

そしてこれでもかというくらい大袈裟に犬の恐ろしさについて語ります。

 

例えば、

 

こちらが何もせぬのに、突然わんといって噛みつくとはなんという無礼、狂暴の仕草であろう。

 

…いや、まぁそうやけど。この言い方大袈裟すぎやろ笑。

 

ここまで犬を恐れ嫌った太宰は

犬対策を考えます。

 

この対策もなかなか面白いんです。

 

あわれな窮余の一策である。私は、とにかく、犬に出逢うと、満面に微笑を湛えて、いささかも害心のないことを示すことにした。

 

これただの犬好きなおじさんです。

 

この対策は一応効果ありました。

しかし、

 

ただ行き当りばったり、むやみやたらに御機嫌とっているうちに、ここに意外の現象が現われた。私は、犬に好かれてしまったのである。尾を振って、ぞろぞろ後についてくる。私は、じだんだ踏んだ。じつに皮肉である。

 

と、まさかの犬に好かれるという。

まぁ確かにいつもニコニコしてたら犬も嬉しいやろなぁ〜。

完全に空回りしてます。

 

話を戻すと、ある日一匹の子犬が太宰の家までついてきて、住み着いてしまいます。

追い払って反撃されるのは怖いから、取り敢えず家で飼うことにしました。

名前は「ポチ」。

 

相変わらず太宰は「犬嫌い怖い無理」って言ってるのですが…

 

憎いやつであるが、これも神様の御心によってこの家へ迷いこんでくることになったのかもしれぬと、縁の下に寝床を作ってやったし、食い物も乳幼児むきに軟らかく煮て与えてやったし、蚤取粉などからだに振りかけてやったものだ。

 

思った以上にちゃんと世話してます。

ツンデレかな?

 

そこまでしてくれたらポチも懐いて太宰にじゃれかかります。

 

「こういう冗談はしないでおくれ。じつに、困るのだ。誰が君に、こんなことをしてくれとたのみましたか?」
と、私は、内に針を含んだ言葉を、精いっぱい優しく、いや味をきかせて言ってやることもあるのだが、犬は、きょろりと眼を動かし、いや味を言い聞かせている当の私にじゃれかかる。

 

仲良しです。

 

奥さんとの会話でも

 

「だめだ。僕は、可愛いから養っているんじゃないんだよ。犬に復讐されるのが、こわいから、しかたなくそっとしておいてやっているのだ。わからんかね」
「でも、ちょっとポチが見えなくなると、ポチはどこへ行ったろう、どこへ行ったろう、と大騒ぎじゃないの」

 

と、ポチとの仲良しぶりがわかります。

 

しかしある日三鷹の家に引っ越すことが決まり、その時「ポチ」は置いていこうと決めました。

 

そんな矢先、ポチは皮膚病にかかってしまいます。見るも無残でした。

 

奥さんはそんなポチを見てご近所に悪いから殺してくれと頼みます。

 

「殺すのか」私は、ぎょっとした。「もう少しの我慢じゃないか」

 

流石に太宰もそれは止めました。

 

しかし、三鷹に引っ越すのが向こうの事情で延期、延期と先延ばしにされ苛立っていた太宰は布団にポチのノミを見つけた途端とうとう殺すことを決意します。

 

急いで奥さんに薬を買いに走らせ、その薬を混ぜた餌を持ちポチを散歩に連れ出しました。

 

「心得ている。ポチ、来い!」
ポチは尾を振って縁の下から出てきた。
「来い、来い!」私は、さっさと歩きだした。きょうは、あんな、意地悪くポチの姿を見つめるようなことはしないので、ポチも自身の醜さを忘れて、いそいそ私についてきた。

 

太宰はポチとの最後の散歩を精一杯しました。

 

そしてとうとう餌をあげる時。

食べたらすぐに死ぬくらいの量の薬が入っています。

ポチの食べてる姿を見ることが出来ない太宰は、さっさと歩き出してしまいました。

 

振り返るまいと思っていましたが、一度だけ、と振り向くと、そこにポチがいたのです。

 

薬は効かなかった。ポチは死ななかったのです。

 

「だめだよ。薬が効かないのだ。ゆるしてやろうよ。あいつには、罪がなかったんだぜ。芸術家は、もともと弱い者の味方だったはずなんだ(中略)弱者の友なんだ。芸術家にとって、これが出発で、また最高の目的なんだ。こんな単純なこと、僕は忘れていた。僕だけじゃない。みんなが、忘れているんだ。僕は、ポチを東京へ連れてゆこうと思うよ。友がもしポチの恰好を笑ったら、ぶん殴ってやる。(省略)」

 

太宰は物語中、犬に噛まれた哀れな友の話を何度もしていたのですが、それと対比になって、ポチを馬鹿にするなら友でも許さないと言っています。

 

結局犬を嫌いと言いながらもポチを愛してしまった。それだけのお話です。

 

まとめれば最初に言ったように

盛大なツンデレの話です。

 

しかしこの話面白いところはずっとギャグ調できていたのに最後の最後はなんだか胸が切なくなりました。

 

ギャグ調からシリアスに落とす手法には弱いので特にです(「銀魂」や「劇場版クレヨンしんちゃん」にも使われる手法ですよね)。

 

軽いノリからいきなり重くなるから余計重く感じる、というのがよくわかってると思います。

 

しかし、これは私のめちゃくちゃ勝手な予測なんですが、これってかなり脚色された話じゃないのかな〜って思います。

 

太宰がよく使うモデルはあるけど大幅変更あり的な。

 

多分

普通に犬可愛がってたと思います。

 

しかし、それを面白おかしく書くのが太宰。

 

太宰スタイルがわかりやすく描かれてた作品だな〜と思いました。

 

とにかく犬好きの私としてはちょっと胸が痛かったけど面白く読めた作品でした(^^)

「このワガママな僕たちを」「あの空は夏の中」

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銀色夏生さんの「このワガママな僕たちを」という詩集を久しぶりに読みました。

 

なんで読み返そうかな〜と思ったかと言うと、本の山で腐海の森と化していた部屋を片付けたら出てきたというのが理由の一つです。

 

銀色夏生さんは母が好きで家に沢山詩集があり、中学生のときずっと読んでた記憶があります。

 

もう一つ理由は、

「そして僕は途方に暮れる」を聴いたからです。

 

「そして僕は途方に暮れる」は作詞が銀色夏生さんの歌なのですが(日清のCMソングでした)とても良い歌で、聴いた時に「あ〜もっかい読み返したいな〜」って思い、読み返しました。

 

それにしても「そして僕は途方に暮れる」はとても良い歌ですね〜。

 

この人の詩を読むと改めて

日本語の美しさというものに気づきます。

 

英語では決して表現出来ない繊細さ、美しさ、心地よさというものが日本語にはあると思います。

 

まず言葉の数が多い。

 

とても繊細な、掴みにくい人の心の動きを美しく表現することができます。

 

例えば、「このワガママな僕たちを」にあるこの詩とかどうでしょう。

 

「雨でいっぱいの胸」

彼はマーブルの台の上で小首をちょこんと傾けて、窓辺につってある鳥かごの中のウグイスの鳴き声にきき入っていました。それから彼はマーブルの台の上の紅茶のカップを近づけてスプーンでひとすくいすくいあげ、表面張力を観察してからもとにもどしました。

おこる人は嫌いだ…

彼はマーブルの台の上の手紙をもういちど読みなおし、かなしくなってチリ箱の中にすてた。

この女の子も嫌いだ…

雨がビービー降って8階のガラスは水びたしだった。

人を悲しませるものって、何だろう。

おこるっていうことは傷ついたということかな。

僕はあの人を傷つけたのかな。

どうしてみんながかなしみに対して、バラバラなんだろう。

 

ガラス戸をあけると空気はつめたかったけど雨は思ったほどではなくて、遠くの街並がかすんで、顔や手に小さな雨つぶがあたって、車の音がだんだん大きくきこえて、また小さくなって、すべてが灰色で空は白で、すべてが灰色で空は白で、遠くがぼやけてすべてが雨で、胸が痛くて甘かった。

 

 

この表現凄くないですか?!

恋の切なさ、人を傷つけることの痛さ等、非常に繊細な細かい心をラストの一言で全部表していると思います。

 

そしてそこまでの前フリも見事です。

彼の状況、感情等が細かく、ですが大雑把に書かれているから最後の言葉が生きるのだと思います。

 

また日本語の凄いところは

ブツ切り芸であるとも思っています。

 

ブツ切り芸(勝手に私がそう呼んでる)は、言葉を細かく切ったり、あえて句読点を全く使わなかったりして、胸から溢れるもの、抑えられない感情などを表すものと勝手に思っています。

 

あとこの人の詩はいいな〜と思ったのは、「あの空は夏の中」の最後の詩。

この詩集は割と長めの詩が収録されているのですが最後の詩はとてもシンプル。

たった一行で。

 

伝えたい気持ちがたくさんあります

 

これだけです。

ここまで色々長いこと語っていましたが、結局言いたい事はこれだけ。

 

でもこの一言が生きるのはここまでたくさんの感情を表したからです。

 

読み返しててホントに

銀色夏生さんすげえ

やっぱり日本語は美しいくらいしか出てきませんでした。

 

他にも銀色夏生さんの本沢山出てきたので読めたら書きたいな〜と思います(^^)

 

ではでは〜(^^♪

 

「彼は昔の彼ならず」をもう少し読み込んでみた

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「彼は昔の彼ならず」もう一回読み返しました〜。

これホント面白いから何回でも読み返せる…。

 

この作品は結構前に記事書いてるのでここではもう一回読んで気になったとこを書こうと思います。

 

前の記事↓ 

yonnsann.hatenablog.com

 

 まず読んでて改めて良いな〜と思ったのはやっぱり青扇です。アホの子キャラ。

 

しかしこれもっと深く読んでいくと青扇って中々考えさせられるキャラなんですよね。

 

青扇というキャラはある意味「千と千尋の神隠し」のカオナシみたいだな〜と思いました。

 

私はジブリ作品で「千と千尋の神隠し」が一番好きで台詞を覚えるくらい何十回も観てるのですが、ずっとカオナシの意味というものを考えてました。

 

というのも、DVDに収録されている予告集を観ていたら、

 

みんなの中に、カオナシはいるー宮崎駿

 

ってあったんですね(多分このキャッチフレーズであってると思います記憶が曖昧ですが…)

 

最初観た時「え、どういう意味?」と思って考えていたのですが、最近やっとその答えが出ました。

 

カオナシっていうのは恐らく漢字に当てると「顔無し」になると思います。

そして意思を伝える言葉も持っていません。

 

何も無い、空っぽなのです。

 

そして何度も何度も千尋を欲しがりました。他のキャラクターを食べて自分と一体化させたりもしました。

 

これは誰かになりたい者の表れと思います。

 

何も無い自分、空っぽの自分がどうしようもなく他人に憧れ、その人のようになりたいという欲求。

 

それをカオナシは、異世界に置かれた状況でも必死に生きる千尋に魅力を感じ、彼女のようになりたいと思い憧れ、何度も取り込もうとしたのではないのでしょうか。それはただの真似事でしかないのに。

 

しかし、「彼は昔の彼ならず」においてのこの青扇というキャラクターもそれは同じです。

 

語り手である「僕」は青扇と出会った当初、彼と親しい女性であるマダムに「彼は変人だが、天才とはああいうものです。」というようなことを言っていました。マダムはそんなことないと笑っていましたが、天才が好きな「僕」は青扇は天才で、天才はこういう行動を取るものだと信じきっていました。

 

しかし、ある日青扇を訪ねた「僕」はわかってしまうのです。

 

「けれど、無性格は天才の特質だともいうね。」
僕がこころみにそう言ってやると、青扇は、不満そうに口を尖らせては見せたものの、顔のどこやらが確かににたりと笑ったのだ。僕はそれを見つけた。とたんに僕の酔がさめた。やっぱりそうだ。これは、きっと僕の真似だ。 

 

青扇は「僕」がマダムに対して言っていたことを聞いていたんですね。そして、「僕」の期待を外さないように、「天才」を演じ、誰かの真似をするだけのただ何も無い凡人だった。

 

そして、それがわかった瞬間「僕」は青扇に失望します。それはまるで自分を見ているかのようだったのでしょう。

 

他人に「天才」を求めた「僕」と、誰かの真似をすることでしか自分を保っていられない青扇。

 

この男は、意識しないで僕に甘ったれ、僕のたいこもちを勤めていたのではないだろうか。

 

結局この2人は何も無い、何でもない凡人でしかなかったんです。

 

誰かの真似事をすることで青扇は自分に意味を持たせようとしていた。

「僕」は天才の知り合いという特別な位置にいることによって自分に意味を持たせていた。

 

何か自分に理由をつけたくて誰かの真似事をする2人。

 

はじめから青扇の顔をどこかで見たことがあると気にかかっていたのだが、そのときやっと思い出した。プーシュキンではない。僕の以前の店子であったビイル会社の技師の白い頭髪を短く角刈にした老婆の顔にそっくりであったのである。

 

僕にはそれもまたさもしい感じで、ただ軽侮の念を増しただけであった。

 

この言葉は青扇に向けられたものですが、同時に自分自身にも向けた言葉でもあると思います。

 

 「僕」がマダムと再会し話す場面で、「僕」がもう一度だけ、「青扇には何か特別なものがある」と言います。ですがマダムの答えは変わりませんでした。全部最初から、マダムが言ってたとおりだったのです。

 

「真似をしますのよ、あのひと。あのひとに意見なんてあるものか。(省略)」
「まさか。そんなチエホフみたいな。」
そう言って笑ってやったが、やはり胸がつまって来た。いまここに青扇がいるなら彼のあの細い肩をぎゅっと抱いてやってもよいと思ったものだ。

 

「僕」はきっと自分自身にもその言葉が刺さってしまったのでしょうね〜。

青扇を慰めることで自分も慰めたいという意味があると思います。

 

ですがこの話が良いなと思ったところはやはり「僕」もマダムも青扇のことが好きなんですよね。

どうしょうもない人間とわかっていても憎めない。

そういう人っていると思います。

 

僕はあしもとの土くれをひとつ蹴って、ふと眼をあげると、藪のしたに男がひっそり立っていた。(中略)僕たちは同時にその姿を認めた。握り合っていた手をこっそりほどいて、そっと離れた。

 

 「僕」はそれから青扇にはあっていません。

 

「僕」の話を聞いていた聞き手はその話がおかしくて笑います。

 

そして「僕」と青扇が似ているとも。

 

しかし「僕」は最後に、聞き手もしくは読者に向かって言いました。

 

――よし。それなら君に聞こうよ。(中略)あの男と、それから、ここにいる僕と、ちがったところが、一点でも、あるか。

 

「僕」は青扇で青扇は「僕」。2人は似たもの同士なんてものではなく完全に一体化しているのです。

今までの環境、生き方の違いだけで根本的には何一つ変わらない、そして皆根本的には彼らと何一つ変わらない何でもない人間でしかない。

 

そういう風に読み取りました。

 

魅力的なキャラクターにコミカルな話の中にこのようなことが読み取れるのは流石太宰治だな〜と思います。

 

こういうの考えるの好きなので楽しかったです(^^)

 

あくまで私の見方なのでほかの方の解釈など見れたら楽しいな〜。

 

 

思ったより長くなってしまいましたが…では今回はこのへんで!

 

「ユリ熊嵐」の謎が解けた!

いきなりなんですがいてもたってもいられず取り敢えず書き留めようと思って今書いてます…。

 

私はユリ熊嵐という作品がめちゃくちゃ好きなんですが、この作品幾原邦彦監督が作るだけあってとても深い話で難しくて未だに謎な部分が多かったんですね。

ユリ熊嵐」↓

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そんで今更ながら漫画版の3巻を読んだのですが…やっとスッキリしました!

 

私がずっと疑問に思ってたところだけ書きますので作品自体を知らない方はわからないと思いますすみません(^^;

良かったらこの作品凄く泣けて深いんでアニメ、漫画両方見てください!(布教)

 

で、まず私がずっと疑問に思ってた点の一つが、アニメ版でユリーカを箱に入れていた人物です。

 

ユリーカはアニメでずっと「私は彼の箱に入りました。」など、「彼」に溺愛されていて、それが自分を満たしていたと言っていますが、ずっと「彼」って誰かな〜?って思ってたんです。

 

そもそもこの作品世界では男性は存在せず(裁判官たちは概念と思っているので男性とは数えていません)女性だけの世界だったのに、イキナリ「彼」なんて出てきて「???」ってなってました。

 

しかし、漫画版3巻でその疑問は解消できました!

 

「彼」とは「百合城カレ」のことだったんです!

 

ですから男性の三人称である「彼」ではなくて女性の名前の「カレ」だったんですね。

 

百合城カレはこのアニメの主人公、百合城銀子(私の一番好きなキャラ)の母親です。

百合城銀子↓

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漫画版とアニメ版は全くの別物と考えていたのですが、これはある程度のリンクを認めた方が楽しいと思いました。

めっちゃテンション上がりましたもん…。

 

ですから次の考察も恐らく賛否あると思いますが私はこの解釈が楽しかったので紹介させてもらいます!いろんな考察がある方が楽しいですしね(^^)

 

もう一つの謎が、

 

泉乃純花はクマリアだったのかということ

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解釈は大きく二つに分かれると思います。

 

  1. 一人一人にとってのクマリアは違い、紅羽にとっては純花がクマリアだった。
  2. 泉乃純花は実際にクマリアであり、クマリアとして紅羽に本当のスキとは何か教えるためのきっかけとしてそばにいた。

 

だと思います。

私はずっと後者だと思っていましたが、前者の意見もとてもよくわかります。幾原監督も「人の死というのは自分勝手に解釈できる」と仰っていたようですし、前者の意見もわかります。

しかし、前者だとどうしても純花が当て馬のような扱いで納得はできませんでした。

 

そして漫画版を読んで改めて思ったのは、

 

やはり泉乃純花は実際にクマリアであった

 

ということです。

 

根拠としては漫画版で泉乃純花本人が発言しています。

 

「私はほんの少しきっかけを作る手伝いをしただけ」

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これにすべて込められてるんじゃないんでしょうか。

漫画版でも純花は色んな人の心を癒すきっかけを作る役割を果たしています。

またクマの世界では彼女だけがクマリアとして存在していました。

そう考えるとアニメ版の純花は、紅羽に本当のスキとは何かを教えるために人間の姿で現れたクマリア様と思います。

 

あと、先ほどの漫画の台詞のあとに続くこの台詞も泣かせますし考えさせられました。

 

「紅羽ちゃんのスキな人はやっぱり百合城さんで…最初からわかっていたのに紅羽ちゃんが幸せで笑ってくれればいいって」

 

アニメ版でも紅羽の笑顔を守りたいと言っていましたね。

漫画版では、紅羽の運命の人はやはりどうしても銀子だとわかっていて、紅羽の笑顔を守るために、銀子と紅羽が結ばれるきっかけを与えます。

めちゃくちゃ切なくて思わず泣いてしまった…。

 

とにかく私は漫画版とアニメ版がある程度リンクしているというのを元にこのように解釈して一人でスッキリ感動してました…。忘れないうちにどうしても書きたかった…。

 

しかし、本当に「ユリ熊嵐」は名作ですね!

アニメは銀子に感情移入しすぎて最後紅羽ちゃんと結ばれた時は声を上げて泣きました。

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しかし、アニメが終わったあと

 

頼むから銀子紅羽るる3人が幸せに暮らしてる映像を見せてくれ!!

 

って喚いてました…。

最高の終わりだったのですがどうしてもあの3人が仲良く日常を送るところが見たかった…。

 

しかし!それを叶えてくれたのが漫画版!皆可愛くて皆楽しそうに日常を送ってる!(銀子モテモテやし!)

 

もう…ただただ幸せで…。

(//∇//)有難うございますっ!てなりました。

 

本当に「ユリ熊嵐」という作品に出会えて良かったと思います(^^)

3人とも大好きだよ〜!

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