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日々読書メモ

大学で受けた授業をきっかけに太宰治を好きになりました。最近はもっぱら太宰です。自分が読んだ本の紹介(ネタバレ有)、感想、考察等書いてます。もちろん太宰以外でも書きますよ(^^)京都が好きなのでそれについても書いてます。

ユリ熊嵐個人的考察まとめ

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ユリ熊嵐本当に大好きでもう何回観てるかわからないくらい観てるんですが今の時点で気づいてる考察をまとめてみました!

 

あくまで個人の考察なのでその辺はご了承ください!

 

用語説明

  • スキ=誰かへの愛。
  • キス=誰かからの愛。→蜂蜜はキスを具現化したもの?
  • るるの周りに飛んでた蜂=自己防衛。自己の領域。
  • 約束のキス=愛による自己犠牲、自己変化。
  • 罪=傲慢→紅羽の罪は銀子に自分のスキのために変化を望んだこと(自ら変化しようとはしなかった)。銀子の罪は自分のスキのために泉乃純花を見殺しにしたこと(ロリ紅羽と別れてから繰り返し言ってる「私は罪ぐまだ」はスキのためにクマ世界の群れから外れたことを意味するのでここでの「罪」は意味が異なる?)
  • 透明な嵐=同調圧力
  • 悪=ルールに従わない者。群れに入らない者。
  • 排除の儀=「悪」を多数決で決め同調圧力によってその「悪」を倒すための儀式。
  • 断絶の壁=社会的な圧力。
  • 人と熊=異なる者同士の象徴(文化や人種など?)
  • 鏡=自己犠牲の象徴。→スキが本物と証明するためには鏡に映る己を傷つけることになる(自ら変化する)。愛が本物か試される。
  • クマリア=愛そのもの?
  • 裁判官=クマリアのかけら。「スキ」が本物か試す役割。

 

考察

この話は同調圧力に屈せず己が変化することで愛を貫く『現代の神話』」だと思います。

 

銀子は群れから排除され自分はいらない存在だと思った時に紅羽に出会い、彼女を愛しました。

 

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しかし、「一人ぼっちじゃない、特別な存在」と気づかせてくれた紅羽は銀子がヒトの社会では異質なクマであるため、同調圧力により傷つけられてしまいます。

 

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それを目の当たりにした銀子は「自分がクマだから紅羽は傷ついた」と思い、紅羽のためにヒトになることを願います。その願いと引き換えに紅羽は銀子の事を忘れてしまいますが、銀子は紅羽に貰った「スキ」を返し、「約束のキス」を果たして、今度こそ二人が堂々と共にいられるようになるため、長い年月の後、再び紅羽に会いに行きます。

 

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一方紅羽は銀子のことは忘れ、泉乃純花にその「スキ」を与えていました。純花を亡くしても頑なに「スキ」を諦めない紅羽。そんな群れのルールに従わない異質な紅羽は透明な嵐に狙われる存在となります。紅羽が透明な嵐に巻き込まれないために、銀子とるるは陰ながら紅羽を守ります。純花を忘れられずなかなか心を開かなかった紅羽も、銀子、るると関わっていくうちに少しずつ打ち解け、同時に過去の記憶も少しずつ蘇ってきます。

 

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ここで絵本の話とそれが持つ意味についても少し話しておきますね。

紅羽の母澪亜が残した絵本には、「月の娘」と「森の娘」という異なる世界の二人が鏡に映る己が身を引き裂き、砕いて、「本物のスキ」を証明し、「スキの星」に導かれる物語が描かれています。

紅羽はこの話を純花にしており、その時に自分は「本物のスキ」を証明するために自らを傷つけることも厭わないと発言しています。これにより純花も紅羽に対して「本物のスキ」を誓います。(また、11話、12話では、銀子と紅羽の二人がそれぞれ鏡に映る自分自身を傷つけ「本物のスキ」を証明しています。)

 

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これは紅羽が純花の存在によって「本物のスキ」とはどういう事なのかを知ったということがわかります。

 ここがとっても重要なんですよね。

…話を戻して、

ヒトに紛れたクマだとバレた銀子は、透明な嵐によって裁かれようとしています。しかし、それを見ていた紅羽は思い出しました。銀子がヒトになりたいと願う前に、紅羽が己の「スキ」のために銀子をヒトにしようとしたことを。

 

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幼かった紅羽は自分が傷つけられるのは「銀子が皆と違うクマだから」と思い、「大好きな銀子と一緒にいたい」という「自分勝手なスキ」を叶えるため、銀子に変化を望んだのです。しかし、「本物のスキ」は愛のために相手を変えることではなく愛のために自らが変わることです。つまり、愛のために銀子に変化を願った紅羽は傲慢の罪を犯したということになります。

全てを思い出した紅羽は自らの罪を悔い改め、純花から教えてもらった「本物のスキ」を叶えるために、自らがクマとなることをクマリア様に願い、「約束のキス」を果たします。

 

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ここで出てくるクマリア様は泉乃純花です。これには色々意見があると思うのですが、私は純花本人だと考えています。

愛の象徴であるクマリア様は、「本物のスキ」を分かっていなかった紅羽に、泉乃純花となりそれが何かを気づかせる役割を果たしていたのだと思います。恐らくヒトの泉乃純花は自身がクマリアであるという自覚は無かったと思いますが、絵本でのナレーションや、度々出てきたクマリア様の言葉である「あなたのスキは、本物?」という問いかけの声が同じことからもそういう意味が込められてるのではないのかな、と思いました。

 

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晴れて「約束のキス」を果たしクマとなり結ばれた銀子と紅羽。しかし、それを見ていた人達は、人間社会において害悪なクマ(悪)を排除します。つまり二人はやっと結ばれたのに殺されてしまったわけですね。

 

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場面は変わり、見事「悪」を排除した人間たちは、再び団結力を高めるため、次の「悪」を決める排除の儀を行います。しかし、一人の少女がそこから立ち去りました。この少女(愛撃子)は銀子と紅羽の姿を見て、心に変化を抱きます。対クマ用兵器として改造された百合川このみ(クマ)が捨てられた場所に赴き、「見つけたよ」と一言、優しく微笑んでこの物語は幕を閉じます(若干まだ続きますが…)。

 

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これでは結局銀子と紅羽が死んじゃってバットエンドじゃん!って思う方もいるかもしれませんが、二人は排除された後、絵本のとおり「スキの星」に導かれ、ヒトもクマも超えた世界に旅立つのです。つまり、二人は死によってしがらみの無い世界で永遠の愛を誓い合ったのです。誰かの心に小さな変化を残して。正に美しい現代の神話といったところでしょうか。

 

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この話何が最高かってるるの弟であるみるん王子の最後の一言がこの物語の全てをまとめてるところなんですよね。

るるの愛を求めたみるんは、るるに何度も「キス」を強請ります。しかしるるはみるんからの「愛」を受け入れることが怖くて何度も拒絶してしまいます。そしてみるんはとうとう帰らぬ人(クマ)に。それを悔いて、自分が成しえなかったことを銀子に叶えてもらうため、他人に自己実現を求める「傲慢」の罪を犯し、「キス」を諦めて銀子を、「スキ」になり、銀子の紅羽への「スキ」を叶えようとします。そんなるるは銀子を庇って死んでしまうのですが、「スキがキスになる場所」でみるん王子と再開します。最後は絵本で銀子と紅羽の物語をみるんに読み聞かせており、この時もう二人の記憶はなくなっているのか、それは定かではありませんがその物語を聞いたみるんがるるにキスをして言ったのがこの一言。

 

「ぼく、ひとつわかったことがあるよ。約束のキス、僕からすればよかったんだ!」

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そうなんです!この物語はその一言に尽きるんです!

愛を得るためにはまず自分から愛することをしなくてはならない。相手に変化を求めるのではなくまず自分から変わらなければいけない。

それがこの物語の主題だと思うのですが、本当に最後この一言出た時は「す、すげえ…この物語一言でまとめやがった…」って思いました…。

 

とにかく『ユリ熊嵐』は観る度に新たな発見がありとても美しく素晴らしいお話になっているのでこの作品に出会えて本当に良かったと思います!

私の考察はまだまだ未熟なところがありますがこの作品の理解の手助けになれたら嬉しいです!

 

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「日本の絶景パレット100」を読んでみた

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お久しぶりです(^^)

今日はいつもと違う系統のものを読みました!

 

これは日本の絶景を集めたものなのですが、面白いのが

 

色ごとに日本の絶景を紹介している

 

ということです。

 

私は綺麗な景色とか見るの好きで写真集とかよく見たりしてるんですが中々京都以外で実際行って見るってことがなくて今のうちに行きたいな〜どうしようかな〜と思ってたんですがこの本は絶景が見れる時期やポイント等も載せてくれてるのでガイドブックとしても便利です(^^)

 

ここでは私が気になった所をいくつかご紹介しますね!

 

 

水色の「国営ひたち海浜公園茨城県

 

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画像元【ネモフィラ | 国営ひたち海浜公園

ネモフィラという花らしいんですがこんなに綺麗な青色が広がってるって本当に夢の国って感じですよね。めっちゃ行きたくなりました。

 

 

桃色の「松島」(宮城県)

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やっぱり日本の桜は美しいですね。

桜の美しさと儚さは古来から和歌にも歌われてきましたが、日本=桜のイメージでは海外でも強いようです。

 

 

黄色の「鳥海山の菜の花」秋田県

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画像元【西目桜・菜の花まつり|由利本荘春の花巡り

 菜の花は私が一番好きな花です。

つかこうへいの『幕末純情伝』 の一番感動するところで一面の菜の花が背景として広がるのですがもうその光景が美しくて…小説なんで私の頭の中の話なんですが…。

あと山村暮鳥『風景』という詩も大好きで目前に広がるいちめんのなのはなを想像するとなんだか凄く明るくてでも切ない気持ちになるんですよね…。

 

他にもまだまだあるのですがここでは以上の三つにしときます。

 

とりあえずここの三ヶ所だけでも今年は行きたい…。

 

この本他にもまだまだ綺麗な写真付きで様々な美しい日本の景色が見れるので是非読んでみて欲しいです!

「挫折を経て、猫は丸くなった」

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最近電子書籍で読んでいたので本屋で本を買う、ということがなかったのですが、これは久しぶりにタイトル見て衝動買いしたものです。

 

だってもうタイトルからワクワクしません?

 

しかしこれ驚くべきことに、タイトルではなくある小説の書き出しなんです。

 

どういうことかと言うと、この作品は様々な架空の小説の書き出しを集めたものなんです。

 

ですから、その話がどんな物語なのかは読者が考えます。

 

想像することが好きな人にとっては必ず楽しめる作品です。

 

ここでは私が気に入った作品を、私が考えたストーリーのあらすじと共にいくつか紹介します!

 

では、さっそく…

 

話が弾んだので、火葬はすぐに終わった。

 

これは学校の生徒の誰かが自殺し、その葬儀に生徒会役員である主役が仲間の何人かと葬儀に参列した場面なのかなと思います。特に関わりのなかった生徒の死は主役にとっては正直他人事で、校内でイジメがあるのは知っているが、自分には関係ないものだと思っている。しかし、ある出来事をきっかけに、実は他殺なのではないか?という疑いが浮上する…。

学園ミステリーみたいな感じが私は凄く浮かんできました〜((^^)

 

 

「いいか、おまえは何もするな」未来から来た自分に言われた。

 

学校の帰り、自分の家の玄関の前に知らない男が立っていた。「何か用ですか?」と尋ねると、男はこちらを振り向くなり眉間にこれでもかと言うほど皺を寄せこう言ったのだ。「俺はお前だ。正確に言えば未来のお前だ」「は?」戸惑っている僕に向かって、男はこう言ったのだ。

 

なんかこういういきなり謎な感じで始まるやつ好きなんですよね。「え?何?自分何したん?」ってツッこめる感じ最高です。

 

 

神様お願い。右の人にして。優希は祈るような想いでDNA鑑定の結果を待った。

 

これは「父」というお題で書かれたものですが、私は時間が遡る感じでこの物語は語られていくのかな〜と思いました。何故優希には父が二人いるのか。優希にとって右の父と左の父の違いはなんなのか。

個人的には左の父は仕事人間で家庭を顧みない冷たい父で、そんな環境の中で育ち愛というものがわからない優希が突如現れた右の父と少しずつ接することによって愛を知る物語がいいかな〜と思います。突如現れた右の父に焦る左の父。この場合お母さんはいない方が話の展開上進めやすいかな?しかし左の父は家族のために働いていて、不器用故に上手く家族と接することができなかっただけで決して悪い人じゃない。しかし幼い優希にはそんなことまだわからなくて、右の父が本物であってほしいと願う。

結局右の父は本当の父親じゃないっていうかそもそも全然関係ない赤の他人なんですが、これがきっかけで優希は左の父の愛情に気付き、右の父はそんな優希を見守る。じゃあ右の父は一体何者?ってなるけどまぁそこは季節的にクリスマスのあの人って感じでちょっと子供向けの児童書みたいな感じでもいいかも……。

 

と、ここまで想像しました(笑)

めっちゃしたな〜。

 

 

「一人相撲、て知ってるか?」横綱の恋話が始まった。

 

これはもう切ない予感がぷんぷんしますね〜。相撲では負け知らずの横綱が、初めて負けた相手は初恋だった。みたいなちょっと切ないロマンチックな悲恋話が好きな私にはめっちゃ好みの書き出しです。

 

 

こんな感じでここまで私が好き勝手話を展開してきましたが、他にも沢山素敵な書き出しがあるので、あなただけの、素敵なお話が頭の中で展開できるんです。

 

短くてすぐ読めるので、ちょっとなんか面白いのよみたいな〜と思った人は是非読んでみてください(^^)

「愛と美について」を読んでみた

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【注】ネタバレ有

 

電車に乗ってる間太宰の短い話読も〜と思って「愛と美について」を読みました。

五十頁弱くらいしかないんですぐ読めます。

 

兄妹、五人あって、みんなロマンスが好きだった。

 

という言葉から始まるこの物語。ある家族のなんでもない日常の話なんですが、この家族は所謂文学一家で、よく家族集まって暇つぶしに皆で物語を考える、ということをやっています。

 

ここからは本文も引用しながらキャラ紹介していきますね。

 

〈長男〉

長男は二十九歳。法学士である。ひとに接するとき、少し尊大ぶる悪癖があるけれども、これは彼自身の弱さを庇う鬼の面であって、まことは弱く、とても優しい。

 

長男はあれは駄作だやらこれは駄目やらすぐ言うけど、義理人情ものとか見るとすぐ泣く。

でも弟妹にそれは知られたくないということでまたすぐ不機嫌になり尊大な態度をとり始める。

 

卒業後は、どこへも勤めず、固く一家を守っている。イプセンを研究している。このごろ人形の家をまた読み返し、重大な発見をして、頗る興奮した。

 

〈長女〉

長女は、二十六歳。いまだ嫁がず、鉄道省に通勤している。フランス語が、かなりよくできた。脊丈が、五尺三寸あった。すごく、痩せている。

 

心が派手で好きな相手に一生懸命尽くして捨てられることを趣味にしている。

捨てられた時の寂寥感が良いらしい。

でも一度本気で愛した人に捨てられた時は流石に落ち込んで肺病だと言って家族を心配させたが病院に行って検査するとこんな頑強な肺は今まで見たことないと医者に言われた。

 

文学鑑賞は、本格的であった。

 

〈次男〉

次男は、二十四歳。これは、俗物であった。帝大の医学部に在籍。けれども、あまり学校へは行かなかった。からだが弱いのである。これは、ほんものの病人である。おどろくほど、美しい顔をしていた。

 

ひとをすぐ蔑視したがる傾向があり、なんでもかんでもゲエテ一点張り。

でもそれはゲエテを尊敬してるのではなく彼の高位高官を傾倒しているだけっぽい。

 

けれども、兄妹みんなで、即興の詩など、競作する場合には、いつでも一ばんである。

 

〈次女〉

次女は、二十一歳。ナルシッサスである。ある新聞社が、ミス・日本を募っていたとき、あのときには、よほど自己推薦しようかと、三夜身悶えした。大声あげて、わめき散らしたかった。

 

そのナルシストぶりは徹底していて、深夜に裸で鏡に向かい笑ってみたりしてる。

一度鼻に小さな吹き出物ができて自殺も図ってる。

 

読書の撰定に特色がある。明治初年の、佳人之奇遇経国美談などを、古本屋から捜して来て、ひとりで、くすくす笑いながら読んでいる。黒岩涙香、森田思軒などの、飜訳物をも、好んで読む。(略)ほんとうは、鏡花をひそかに、最も愛読していた。

 

〈末弟〉

末弟は、十八歳である。ことし一高の、理科甲類に入学したばかりである。高等学校へはいってから、かれの態度が俄然かわった。兄たち、姉たちには、それが可笑しくてならない。

 

この末弟はなんでもかんでも口を出し、たのまれもしないのに思慮深い顔で裁判を下す。

これには母をはじめとした家族みんな閉口している。

 

探偵小説を好む。ときどきひとり部屋の中で、変装してみたりなどしている。

 

さて、今日は皆暇なので、物語の連作をしようという話になりました。

 

ちょっと風変わりな主人公を出してみたいと話していると、次女が人間の中で一番ロマンチックな種属である老人にしようと提案しました。

長男はそれに賛成し、なるべく愛情豊かな美しい物語にしようと付け加えます。

 

ここからこの家族が物語を作っていくのですが、この物語もまた面白い。

 

普通に一つの作品として出せるレベルです。

 

ざっとその物語をまとめると、人に理解されない年老いた天才数学博士が、酒の帰りに元妻に会い、今は新しい奥さんもいて、充分幸せだから私と君はもう他人だよと言って別れます。

その帰りに3本の美しいバラを買い、妻のために持って帰ります。

しかし家に帰っても誰もいません。

その代わり、元妻の若く美しい写真が飾られており、老人は笑顔で彼女にバラを差し出すのでした。

 

まさにロマンチックで美しい話ですね…。

 

普通に読んでて楽しかったです。

 

しかし、この時流石太宰だな〜と思うのは、それぞれが物語を語る時、ちゃんとそのキャラクターの個性が出ているんですね。

 

例えば、老人が天才数学博士という設定は末弟が決めたものですが、紹介にもあったようになんでもかんでも知ったかをして、今日授業で先生が話した内容を丸パクリして、まるで自分の発見のように話します。

話しすぎて物語どころではありません。

これには皆閉口します。

 

喋ることがなくなり困る末弟に思いやり深い長女が助け舟を出します。

 

長女はその優しさが言葉に滲み出ていました。

話し方がとても優しいのです。

 

幸福は、まだまだ、おあずけでございます。変化は、背後から、やって来ました。

 

長女のバトンを次ぐのは次男です。

 

あまり描写が上手くないと前置きして、語り始めます。

 

確かに殆どが会話で風景描写は全然ありません。

 

しかし次男のおかげでその博士と元妻の関係が見えました。

 

そして次女が口にします。

 

「あたし、もう、結末が、わかっちゃった」

 

そして次女によってこの物語は美しい物語として終わりを告げるのです。

 

しかしここまででも足も出なかった長男は、自分のプライドのためいらぬ付け足しをします。

 

博士の容貌について言及しますが完全に蛇足です。

 

しかし物語が終わればまた退屈な時間が流れます。

 

母は皆の個性ある物語を聞いていましたが、ふと窓に目を移し慌てた声で言いました。

 

「おや。家の門のところに、フロック着たへんなおじいさん立っています。」
兄妹五人、ぎょっとして立ち上った。
母は、ひとり笑い崩れた。

 

「如是我聞」を読んでみた

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今日は太宰治の「如是我聞」を読みました。

 

新聞に四ヶ月ほど掲載されていたものらしく、太宰のインタビュー(?)が百頁くらいで纏められたものです。

 

感想を一言で言うならば、

 

太宰、志賀直哉のこと嫌いすぎ。

 

です。

 

第一章は、所謂「老大家」について、あまりにも慎みがなく偉そうだ、というようなことを書いていました。

 

相当恨みつらみが募ってるんやろな…ってくらいめちゃくちゃ書いてましたが、納得出来るとこも多々あります。

 

私のどうしても嫌いなのは、古いものを古いままに肯定している者たちである。新らしい秩序というものも、ある筈である。それが、整然と見えるまでには、多少の混乱があるかも知れない。しかし、それは、金魚鉢に金魚藻を投入したときの、多少の混濁の如きものではないかと思われる。

 

これって現代でも言えますよね。

 

「昔はな…」っていう懐古主義の「おとしより」が多く、便利な世の中を何故か受け止めたがらないですが、常に時代は変わってて、その度に新しい何かを受け入れなければなりません。

 

それを楽しめば良いのにうだうだ文句言う人、私も嫌いです。

 

第二章では、学者について思うところを書いています。

 

太宰曰く、(ここでいう学者は恐らく語学者の事だと思いますが)彼らはただの語学の教師である、と言っています。

 

それなのに、「原文で読まないとわからない」とか偉そうに言うな!それを伝えんのがお前の役目やろ!」って言いたいらしいです。

 

この章で特に印象に残ったのは、

 

勉強がわるくないのだ。勉強の自負がわるいのだ。

 

です。

 

これ正しくそうですよね。

 

私は中学生のとき勉強ができない人間はバカだ、という歪んだ考えを持っていました。

 

それはそこそこ勉強ができた自分に「勉強の自負」があったからだと思います。

 

しかし、高校生になり、そうでないことに気づきました。

 

本来勉強というのは何かを学ぶためにするもので、それができたからと言って偉いも何もあるわけではありません。

 

数学ができたら偉いのであれば、絵を描くことが出来るのも、ヘアカットが出来るのも偉いです。

 

寧ろ数学ができるよりよっぽど偉い。

 

勉強を人を見下すための道具として使うのならば、勉強しない方がマシですよね。

 

このフレーズを読んで改めて思いました。

 

しかし、ここまではまだ序章。

 

第三章、第四章 が本編です。

 

太宰の主張は第一章から一貫して、これにあります。

 

若いものの言い分も聞いてくれ! そうして、考えてくれ! 私が、こんな如是我聞などという拙文をしたためるのは、気が狂っているからでもなく、思いあがっているからでもなく、人におだてられたからでもなく、況んや人気とりなどではないのである。本気なのである。

 

新しいものに挑戦する若者を潰さないでほしい。

 

この話を通して一番言いたいのはこれでしょう。

 

そして、太宰のいう若者の可能性を潰す最も悪徳な「老大家」が、志賀直哉です。

 

志賀直哉という作家がある。アマチュアである。六大学リーグ戦である。(中略)あの「立派さ」みたいなものは、つまり、あの人のうぬぼれに過ぎない。腕力の自信に過ぎない。(中略)高貴性とは、弱いものである。へどもどまごつき、赤面しがちのものである。所詮あの人は、成金に過ぎない。

 

ボロカスです。

そんなに?ってくらいボロカス言います。

 

ここまで言うのには理由があるらしく、

 

志賀直哉という人が、「二、三日前に太宰君の『犯人』とかいうのを読んだけれども、実につまらないと思ったね。始めからわかっているんだから、しまいを読まなくたって落ちはわかっているし……」と、おっしゃって、いや、言っていることになっているが、

 

や、

 

またある座談会で(おまえはまた、どうして僕をそんなに気にするのかね。みっともない。)太宰君の「斜陽」なんていうのも読んだけど、閉口したな。なんて言ってるようだが、「閉口したな」などという卑俗な言葉遣いには、こっちのほうがあきれた。

 

 

というように、自身の作品を酷評されたところにあるらしいてす。

 

特に「斜陽」に関しては怒り爆発。

 

別所直樹氏著書の「郷愁の太宰治」でも書いてありましたが、「斜陽」は太宰が死ぬ気で書いた作品。

 

それを「閉口した」などという言葉で評価されたのがどうしても許せなかったのでしょう。

 

 

yonnsann.hatenablog.com

 

 

ここで注目すべきなのは、太宰の文学観です。

 

も少し弱くなれ。文学者ならば弱くなれ。柔軟になれ。おまえの流儀以外のものを、いや、その苦しさを解るように努力せよ。どうしても、解らぬならば、だまっていろ。むやみに座談会なんかに出て、恥をさらすな。

 

彼の言葉は、ただ、ひねこびた虚勢だけで、何の愛情もない。

 

「畜犬談」でも、太宰は、本来芸術家は弱く、また、弱者のためにあると言っています。

 

そして「」を大切にしたいと。

 

「愛」 については様々な作品でも言及されていますね。

 

その中でも「津軽」のこのフレーズは印象的でした。

 

私には、また別の専門科目があるのだ。世人は仮りにその科目を愛と呼んでゐる。人の心と人の心の触れ合ひを研究する科目である。

 

 

yonnsann.hatenablog.com

 

 

「郷愁の太宰治」でもわかるように太宰という人間は本当に優しくてどこか危うい人で、いつも「愛」を言葉の表現に込めていたことがわかります。

 

太宰作品を読んでいく中で太宰についてわかったのは本当に今上記したものです。

 

それらを大切にしてた太宰からしたら、志賀直哉の言葉もその作品も許せなかったのでしょう。

 

以前志賀直哉の「灰色の月」を読みましたが、それについても言及しています。

 

すなわち、「東京駅の屋根のなくなった歩廊に立っていると、風はなかったが、冷え冷えとし、着て来た一重外套で丁度よかった。」馬鹿らしい。冷え冷えとし、だからふるえているのかと思うと、着て来た一重外套で丁度よかった、これはどういうことだろう。まるで滅茶苦茶である。いったいこの作品には、この少年工に対するシンパシーが少しも現われていない。つっぱなして、愛情を感ぜしめようという古くからの俗な手法を用いているらしいが、それは失敗である。しかも、最後の一行、昭和二十年十月十六日の事である、に到っては噴飯のほかはない。もう、ごまかしが、きかなくなった。

 

正直私もこの作品意味がわかりませんでした。

 

「……だから?(´・ω・`)」ってなっちゃいました。

 

大阪人なのでどうしてもオチを求めてしまうんです…。

 

まぁ、文学って言われてるものって正直「これそんなにいいか?大したこと言ってないぞ?」ってなるやつ多いですしね。

 

そういえば芥川についても書いてありました。

 

君について、うんざりしていることは、もう一つある。それは芥川の苦悩がまるで解っていないことである。
日蔭者の苦悶。
弱さ。
聖書。
生活の恐怖。
敗者の祈り。
君たちには何も解らず、それの解らぬ自分を、自慢にさえしているようだ。

 

大好きな芥川の作品も理解出来ずそれを自慢してることにも太宰は憤りを感じてるようです。

 

ほんまめっちゃ(#・∀・)おこ!やな。

 

そしてこれだけ散々ボロカスに言って最後の嫌味が、

 

貴族がどうのこうのと言っていたが、(貴族というと、いやにみなイキリ立つのが不可解)或る新聞の座談会で、宮さまが、「斜陽を愛読している、身につまされるから」とおっしゃっていた。それで、いいじゃないか。おまえたち成金の奴の知るところでない。ヤキモチ。いいとしをして、恥かしいね。

 

やっぱり「斜陽」を馬鹿にされたことが一番許せなかったんやな。

 

こういうの改めて読むと太宰って本当に人間味があって愛しく思えてきますよね。

 

こういう子どもみたいなところがなんだか可愛くてほっとけない感じです。

 

それが太宰が世代を超えた多くの読者から愛される理由なんでしょうね。

 

太宰に関してこむずかしい論文や評論は似合わない。

 

もっと単純に、「おもしろかった!」「優しいなぁ」みたいな感想で充分だと、今回「如是我聞」を読んで思いました。

 

 

 

「火の鳥」を読んでみた

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太宰治の未完の作、「火の鳥」を読みました。

 

未完といえば以前の記事で「グッド・バイ」も書きましたね。

 

 

yonnsann.hatenablog.com

 

 

この作品は「すごく危ない作品だな」と思いました。

 

これについてはまた後ほど詳しく書きます。

 

とりあえずこの話がどんな話か雑ですけどあらすじを読んでちょっと掴んでください。

 

以下物語の大体のあらすじ↓

 

序編には、女優高野幸代の女優に至る以前を記す。

 

から物語は始まります。

 

勿論見てわかるとおりこの物語の主人公は高野幸代なのですが、それぞれの章や話の展開により、焦点に当てられるキャラクターは異なります。

 

最初は須々木乙彦という男に焦点が当てられています。

 

須々木は黒の羽織を買い、ホテルの部屋を借り、BARで女性と酒を飲んでいました。

 

そこで、一人の女性と親しくなります。

 

乙彦はそのあったばかりの女性と帝国ホテルに泊まり、一夜を過ごしました。

 

その女性が高野幸代です。

 

乙彦は親戚の高須隆哉に連絡します。

 

やがて、ドアが勢よくあき、花のように、ぱっと部屋を明るくするような笑顔をもって背広服着た青年が、あらわれた。
「乙やん、ばかだなあ。」さちよを見て、「こんちは。」

 

隆哉は大学の医学部生で、なかなか眠れないという乙彦のために、睡眠薬を渡しに来ました。

 

その後三人は自動車を拾い浅草まで繰り出します。

 

料亭で食事をしている時、乙彦が「しばらく旅行に出るからね、」と前置きし、隆哉に言いました。

 

「もう、僕に甘えちゃ、いけないよ。君は、出世しなければいけない男だ。親孝行は、それだけで、生きることの立派な目的になる。人間なんて、そんなにたくさん、あれもこれも、できるものじゃないのだ。しのんで、しのんで、つつましくやってさえ行けば、渡る世間に鬼はない。それは、信じなければ、いけないよ。」

(中略)

「それでいいのだ。僕の真似なんかしちゃ、いけないよ。君は、君自身の誇りを、もっと高く持っていていい人だ。それに価する人だ。」

 

隆哉と別れを告げ乙彦と幸代が二人きりになったとき、幸代が呟きました。

 

「あなた、死ぬのね。」

 

乙彦は「わかるか」と言って、幽に笑います。

 

「ええ。あたしは、不幸ね。」やっと見つけたと思ったら、もうこの人は、この世のものでは、なかった。
「あたし、くだらないこと言ってもいい?」
「なんだ。」
「生きていて呉れない?あたし、なんでもするわ。どんな苦しいことでも、こらえる。」

「だめなんだ。」
「そう。」このひとと一緒に死のう。あたしは、一夜、幸福を見たのだ。「あたし、つまらないこと言ったわね。軽蔑する?」
「尊敬する。」ゆっくり答えて、乙彦の眼に、涙が光った。

 

そして二人は薬品を飲んで自殺をします。

 

朝になると、須々木乙彦の遺体だけが見つかりました。

 

高野幸代は、生き残ってしまったのです。

 

 

…と、ここから物語が展開されていくのですが、

 

何故私がこの物語は危ないと思ったか。

 

結論から言うと、

 

登場人物それぞれの愛が強烈過ぎる

 

からです。

 

この物語には主に六人のキャラクターが登場します。

 

人を惹きつける自殺志願者須々木乙彦

男を魅了して止まない天才女優高野幸代

須々木を慕い幸代を憎む高須隆哉。

幸代を自分のものにしたい善光寺助七

 幸代をプロデュースした劇作家三木朝太郎

幸代の面倒を見る八重田数樹

 

この六人のうち、須々木乙彦を除いた五人は、

どこか危うい強烈な愛を持っています。

 

高野幸代は、女性は男性より遥か強い生き物であるから、もっと男性に施してあげるべきであると、もっと男性に尽くすべきであるという考えの持ち主です。

 

「みんな利巧よ。それこそなんでも知っている。ちゃんと知っている。いい加減にあしらわれていることだって、なんだって、みんな知っている。知っていて、知らないふりして、子供みたいに、雌のけものみたいに、よそっているのよ。だって、そのほうが、とくだもの。男って、正直ね。何もかも、まる見えなのに、それでも、何かと女をだました気で居るらしいのね(中略)男は、だって、気取ってばかりいて可哀そうだもの。ほんとうの女らしさというものは、あたし、かえって、男をかばう強さに在ると思うの。(省略)」

 

「男にしなだれかかって仕合せにしてもらおうと思っているのが、そもそも間違いなんです。虫が、よすぎるわよ。男には、別に、男の仕事というものがあるのでございますから、その一生の事業を尊敬しなければいけません。わかりまして?」

 

「女ひとりの仕合せのために、男の人を利用するなんて、もったいないわ。女だって、弱いけれど、男は、もっと弱いのよ。やっとのところで踏みとどまって、どうにか努力をつづけているのよ。あたしには、そう思われて仕方がない。そんなところに、女のひとが、どさんと思いからだを寄りかからせたら、どんな男の人だって、当惑するわ。気の毒よ。」

 

何故幸代がこのような考えを持っているのか、ここでは割愛しますが、それは彼女の生い立ちに関係があります。

 

「はじめから、そうなのよ。あたし、ひとりが、劣っているの。そんなに生れつき劣っている子が、みんなに温く愛されて、ひとり、幸福にふとっているなんて、あたし、もうそんなだったら、死んだほうがいい。あたし、お役に立ちたいの。(中略)男のひとに、立派なよそおいをさせて、行く路々に薔薇の花を、いいえ、すみれくらいの小さい貧しい花でもがまんするわ、一ぱいに敷いてやって、その上を堂々と歩かせてみたい。そうして、その男のひとは、それをちっとも恩に着ない。(中略)それを、あたしは、ものかげにかくれて、誰にも知られずに、そっとおがんで、うれしいだろうなあ。女の、一ばん深いよろこびというものは、そんなところにあるのではないのかしら。そう思われて仕方がない。」

 

彼女は自分に対しとても悲観的に、否定的に考えています。

 

だから男性に尽くすのだと思ってしまう。

 

なんて傲慢な考えなんでしょう。

 

正に傲慢な愛です。

 

酷く押し付けがましい愛です。

 

男は皆お坊ちゃん。

女を守るやら肉体を喜ばせばいいやら見栄をはるやら、男は女のことをちっともわかっていない。

 

しかし、彼女にとって須々木乙彦だけは違っていました。

 

ああ、この人、ずいぶん不幸な生活して来た人なんだな、と思ったら、あたし、うれしいやら、有難いやら、可愛いやら、胸が一ぱいになって、泣いちゃった。一生、この人のお傍にいよう、と思った。永遠の母親、っていうのかしら。私まで、そんな尊いきれいな気持になってしまって、あのひと、いい人だったな。(中略)あの人は、あたしに自信をつけてくれたんだ。あたしだって、もののお役に立つことができる。人の心の奥底を、ほんとうに深く温めてあげることができると、そう思ったら、もう、そのよろこびのままで、死にたかった。 

 

幸代にとって乙彦は、彼女の願望、考えそのものを肯定してくれる存在だったのです。

 

ですからその強烈で傲慢な愛をたった一日しか過ごしていない乙彦に向けたのです。

 

では高須隆哉はどうでしょうか。

 

幸代が初舞台にして女優として成功をおさめた劇を高須は観に行きました。

 

久しぶりに見る彼女の姿。

 

しかし高須が彼女に対して抱いた感情は、憎悪と嫌悪感でした。

 

僕は、あんな女は好まない。僕は、あんな女を好かない。あいつは、所詮ナルシッサスだ。あの女は、謙虚を知らない。自分さえその気になったら、なんでもできると思っている。(中略)もう、あの様子では、須々木乙彦のことなんか、ちっとも、なんとも、思っていない。悪魔、でなければ、白痴だ。

 

須々木乙彦を慕っていた高須は平気な顔で女優になっている幸代が許せませんでした。

 

そんな彼の元に幸代からメモ書きの手紙が届けられました。

 

さっき、あたしの舞台に、ずいぶん高い舌打なげつけて、そうして、さっさと廊下に出て行くお姿、見ました。あなたのお態度、一ばん正しい。あなたの感じかた、一ばん正しい。(中略)自分がまるで、こんにゃくの化け物のように、汚くて、手がつけられなくて、泣きべそかきました。(中略)あたしは、精一ぱいでございます。生きてゆかなければならない。誰があたしに、そう教えたのか。(中略)あなたの乙やんです。須々木さんが、あたしにそれを教えて呉れました。けれども、あなたも教えて下さい。一こと、教えて下さい。あたし、間違っていましょうか。聞かせて下さい。あたしは、甘い水だけを求めて生きている女でしょうか。あたしを軽蔑して下さい

 

このとき高須は何を思ったのか。

 

憎悪、嫌悪、それ以外の何かを感じたのでしょう。

 

高野幸代と高須隆哉を結ぶのは二人が慕い愛した須々木乙彦という存在です。

 

須々木乙彦を通してのみ二人の関係は繋がっていられる。

 

高須隆哉の愛とは、憎悪と共有の愛です。

 

高須隆哉にとって高野幸代は須々木乙彦なしには語れない存在。

 

同じ痛みを分かち合える唯一の人間。

 

ですから自棄になる彼女が許せず放っておけない痛いほどの愛が伝わってきます。

 

「僕は、さちよを愛している。愛して、愛して、愛している。誰よりも高く愛している。忘れたことが、なかった。あのひとの苦しさは、僕が一ばん知っている。なにもかも知っている。あのひとは、いいひとだ。あのひとを腐らせては、いけない。ばかだ、ばかだ。ひとのめかけになるなんて。ばかだ。死ね!僕が殺してやる。」

 

女優になるため三木の妾になった幸代の現状を知り、激しい感情を見せることからも彼の痛いほどの強い愛がわかると思います。

 

 

と、ちょっと長くなってしまったので他キャラはとりあえず割愛します。

 

読んで確かめてみてください。

 

とりあえずこの作品について言いたかったことは、

 

危うく強烈な愛が交錯する酷く感情を揺さぶる作品

 

だったということです。

 

 しかもこれ途中で衝撃の事実が明らかになるという…。

 

なのに未完成なので明らかになったはいいけど謎も結末も一切わからないままという…。

 

ある意味そこも衝撃です。

 

他にも色々考えさせられる場面が沢山あったのでそれについては別の記事で書きたいと思います。

 

では今日はこれで。

「夜にあやまってくれ」を読んでみた

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悲しいと言ってしまえばそれまでの夜なら夜にあやまってくれ

 

今日蔦谷書店に行ったんですが、入口入ってすぐ、一番人目がつく場所にズラーッ

「夜にあやまってくれ」というタイトルが並んでいました。

 

そのインパクトあるタイトルに惹かれて手に取ってパラパラ〜と読んでみると、なんと

短歌集だったのです。

 

短歌ってあんまり興味なくて今までちゃんと読んだことなかったのですが、

これが読んだら面白い。

 

今若い人たちによる現代短歌が流行っているらしく、若い世代を中心とした短歌集が沢山売られていました。

 

「夜にあやまってくれ」もそのうちの一つです。

 

ここでは私が印象に残った歌をいくつか感想も交えて紹介したいと思います。

 

旗を振るように花束を青空へ差してまた君に出逢える夏だ

 

私は四季の中で夏が一番好きなのですが、この歌は真っ青な空と白い入道雲、そして下から見上げるひまわりが頭に浮かびました。

 

夏が来る楽しみが「君に出逢える」という表現から伝わってきて気持ちがいい歌だな〜と思いました。

 

何が悲しいってこれを初恋と呼んだら君が笑うってこと

 

これは自由律ですね。

自由律なので、そっと誰かが呟いたような印象を受けます。

歌詞みたいですね。

 

自分の「君」に対する想いが、本当の意味では届いてない。きっと一生届かない。そんな悲しくて切ないドラマがこの三十一字から伺えます。

 

自転車の後ろに乗ってこの街の右側だけを知っていた夏

 

私はこの歌がこの歌集の中で一番好きです。何故だかとても印象に残りました。

前述した通り私は夏が一番好きです。夏っていろいろな感情を感じることができる季節だと思うんですよね。暑いからクーラー効きすぎて寒いとか、青春も漢字は青い春と書きますが夏のイメージが強いです。イベントが多いのも理由の一つになりますね。

とにかく日本の夏という季節はとても良い季節だな〜と思うんです。そしてこの歌はとても夏の青春って感じがしたのです。

頭に思い浮かんだのは制服を着た二人の男女。自転車に二人乗りして少女は少年の背に頬をつけ、右側だけを眺めてる。右側は以外は見えないし、見ようとも思わなかった。一方向しか見れなかった。そんな若さを振り返っているような、二度と戻れない時間を振り返るような、そんな切ない気持ちを思い起こさせます。

 

どの歌もそうですが、やはり短歌の凄いところは、たった三十一字で私たちの想像を限りなく掻き立てるということです。

これって簡単なことではないと思うんです。三十一字の制限の中で言葉を選び相手の想像を拡げなければならない。

勿論解釈は人それぞれ自由ですが、少なからず伝えたいニュアンスというものが作者にもあると思います。それを如何に読者に伝えるか、どの言葉を使えばそれが効果的に伝わるか。これは文学だけではなく、コミュニケーションにおいてもとても大事なことですよね。

相手に自分の一番言いたいことを効果的に伝えて初めてコミュニケーションは成立します。

相手の心に響く言葉を自分で探さないといけません。

そういう意味では短歌はコミュニケーションの勉強になるかもしれませんね。

私も少し挑戦してみたいな〜と思いました(^^)

 

「夜にあやまってくれ」以外にも沢山現代短歌集が出ているので、是非自分のお気に入りの一冊を見つけて欲しいな〜と思います。

自分の感情に当てはまる歌を見つけると少し気分が弾みます。そういう楽しみ方もできるんじゃないんでしょうか(^^)